佳香、天涯孤独となりました!

佳香、天涯孤独になりました!

今日、母親との縁が切れました。私が連絡を取っている血のつながった人は母親だけだったので、天涯孤独となったわけです。

お気づきの方もいると思いますが、私は働くことができません。これは私がただ言っているだけではなく、お医者さんに「就労能力なし」と書かれて、国に認められています。

長いあいだ祖父に援助してもらいながら、でも経済的に自立はしたかったので、できないアルバイトをしてみて具合がわるくなり今年も精神科に入院してました。

できないものはできないので、アルバイトはあきらめてB型作業所の在宅の仕事を見つけて手続きを進めているところに、母親から連絡がきました。

話すと長くなるので端折りますが、母親も長いあいだ私と同じ状態でした。

それがなんかいろいろ形になってきたらしく、祖父の援助を断ろうと思ってるから、私にもそうしてほしいそうです。

私の体調は聞かれませんでした。そもそも働けているのかも聞かれませんでした。

おじいちゃんに言われたら、「今までありがとう」となりますが、母親は窓口で、母親のお金ではありません。

母親はおじいちゃんのお金で生活をして、働く日数を減らすことができ、その時間でおじいちゃんのお金で習い、身につけたことで今自立に向かっています。

私はそのあいだに1日12時間働く日がなんだか週に3日あるぞ。と思いながら働き、ばたんきゅーして精神科に入院しました。

母親の家にはダイソンの掃除機がありました。扇風機もダイソンでした。ドライヤーはRefaでした。

母親とお金のやりとりをしないといけなかったので、連絡先は残してましたが金銭的に自立できるめどが立てば縁は切るつもりでした。

そして、それが今日きました。自立できるめどはまったく立っていませんが。ちょっと順番が逆でした。

母親はべつに縁を切るつもりでは連絡してきてないでしょう。でも、そうするともう私にとっては必要ないです。

なんだかぐちゃぐちゃの感情で、かなしいのかおこってるのか、わからなくて体の震えが止まらず、呼吸もうまくできず、涙がとまりませんでした。

でも、空が青かったです。

きっと、やっと解放されたよろこびが、体の底から湧いてきたのだと思います。

なんだか、やっと私は私になれた気がします。

親も親の人生があるので、脚本を書くとき親のことはくわしくは書きませんでした。

親が死んでから書こうと思ってましたが、なんかもういいです。もう遠慮する必要がなくなりました。

今日のことを忘れたくありません。今日のことを書かないといけない。

そうして、書きあげた脚本をコンビニに印刷した帰りに、ぐちゃぐちゃのまま、ぜえぜえいいながら涙を流しながら歩いていると、声をかけられました。

迷子の男の子だと思って声をかけてくれたそうです。私がちびで髪が短いばっかりに。

「なにかあった?」と聞かれて、「いや、ちょっと親と縁が切れただけです」と答えたら、「親は他人だからね」と一言目に返ってきました。話のわかるひとだ。

「話聞こうか?」と言ってくれました。

なんだかおもしろそうなので、ほいほいついていって、飲みに行きました。

その人は学校を作りたいそうです。そのためには5000万円必要だそうです。

5000万。

なんだか、私はとりあえず家賃と水道代とあとはお芝居を習うためのお金があれば、まあなんとかなるでしょう。ごはんはまあ、子ども食堂とかだと大人料金を払えば安く食べられる。

少なくとも5000万円はいらないでしょう。

私は毎日15錠の薬を飲みながら生活しています。これでも減薬されてます。

これがないと社会的に死ぬでしょう。いや、物理的にも死ぬでしょう。

でも、私には「私とヤク中ってなにがちがうんだろう」と言ったら、「なにもちがわないよ」と笑い飛ばしてくれる友だちがいます。

すべての医療従事者、研究者に感謝しています。

私はやりたいことしかやりません。やりたいことしかできません。できることしかできません。

そして、私はそれがたまたまお金にはならない芸術でした。

芸術しかできません。それ以外はほんとうになにもできません。

でも芸術はできます。

お金のために自分の表現を曲げることもできません。もう、自分で自分がめんどくさいです。

お芝居は出てほしいと言われないと出られません。でも、お金がマイナスになることはない。

脚本は書けます。コンクールに出して賞金稼ぎします。私の脚本はどれも傑作なのだ。たまたま通らないことがあっても、どれかではぜったい通る。この世にあるすべてのコンクールに通らなかったら、それはもう誰が読んでるのですか?となるくらいには愛している。

映像化するのはたいへんですが、それをこれから、明後日から学びに行くのです。映画を作るのです。今日荷造りするつもりだったのに、それどころじゃなかった。

エッセイなのかなんなのかよくわからない文章は書けます。たまってきたら、今までに書いてきた誰にも見せてない文章も含めて、本にして売るつもりです。

そのエッセイなのかなんなのかわからない文章は、ただ頭の整理のために書いているので、自分でも「これ人が見ておもしろいのか?」と思いながら書いてます。

Facebookで書いているので、Facebookをしている人はともかく、それ以外の人は私のお絵かきアカウントのストーリーからしか見られないようになっているのに、毎日だいたい同じメンバーが30人くらい読んでくれてます。

なんでわざわざ?この話をできる人が現実にいないから私は仕方なく文章にしてるのに、それが少なくとも30人はいるわけです。ほんとうにどういうつもりで読んでくれてるのかわからず、「なんで毎日読んでくれてるの?」とアンケートをとりました。

「なんでこんな子に仕上がったのか知りたい」
「私の考えてることがおもしろい」
「私がなにを考えてるのか知りたい」
「その他」

私が思いつくのはそのくらいだったので、それでアンケートをとったら、ひとりも答えてくれませんでした。なんで読んでるの。教えて。

あとは、絵を描いています。幸いなことに、私の描きたい、描ける絵はかわいいほんわかしたものなので、グッズにしやすいです。買ってください!

今度、愛知で絵を展示していただけることになりました。また詳細はお知らせします。

写真も撮ってますが、趣味とも思ってなくて、ただ撮ってるだけですがなんかほめてもらえることがあります。

デジタルでも売れるらしいので売ります。私はスマホで撮ってるので、原価がかからない。写真集にもそのうちします。

音楽も気がついたらはじめてましたが、私はライブができないし、そもそも私と似た境遇の人たちが聴いてくれるかもと、せっせとアルバムを作ってるわけです。

近いうちにSpotifyとかで聴けるようになると思います。

とりあえず売れるものを売るしかない。

せっかく私は私になれたのだから、やりたくないことはやりません。

みなさん、私は義務教育を受けていません。

親ともちゃんと住んでたのは小5までなので、親からも教育を受けていません。まあ、親の影響を受けるのが最小限だったのは、私の場合はよかったでしょう。

人生の半分以上は精神科に通い、精神科だけでも5回は入院したことがあります。閉鎖病棟にもいたことがあります。

健康なときの記憶なんてありません。

私は心理士さんとお医者さんとおしゃべりするのが大好きなので、毎回楽しみにしています。

美容院に髪を切りに行くのと同じです。メンテナンスです。

母親が死んだら特に葬式には行くつもりはありません。わざわざ行くほどのことではないでしょう。

でも父親が死んだら、見に行くつもりです。死に目にはべつに会いたくないので、癌になったと連絡がきても会いませんでした。

2年に1回自己憐憫の文章が送られてくるので、めんどくさくてブロックしました。死んだら警察から連絡がくるでしょう。

父親には、まともな大人に話すと「それ虐待ですよね」と顔をしかめられるようなことをされていました。

たぶんお医者さんには行くのをとめられるでしょう。

でも、私は自分を虐待していた親の死体を見たらなにを感じるのかを知りたい。その好奇心には勝てません。私は芸術家なので。

スタンド・バイ・ミーです。

まあ、死ぬくらいで赦されると思うなよ、とは思います。

メールアドレスも変えました。今まではフルネームが入っていました。

もうfamily name は捨てます。私は佳香です。

kakonomirai.1001@gmail.com

佳香の未来。前のも今まで通り受信はできるので、送っていただいても見られます。

母よ、あなたがくれた言葉のなかで私が好きなのは、「日本もいつ戦争が起きるのかわからないから、好きなことしなさい」だけです。

わかりました。書きます。あなたのそれ以外の言葉もすべて。

私の名前は母親がスピってなければ、くるみちゃんになってました。

私は親にもらった名前がほしいと思ってましたが、だいすきなみんなにいっぱい呼んでもらってるうちに、だいすきな名前になりました。

みんな、ありがとう。

たぶん、私と似たような境遇の人はたくさんいるでしょう。

できることをしましょう。できることしかできません。

お風呂に入れないときは、洗わなくていいから、湯船にだけつかってあったまる。それもできなければ、顔だけ洗う。

おひさまを浴びて、あったかいなと感じる。お水を飲んでおいしいと味わう。

外に出られなくても、窓は開けてみる。カーテンだけでも開けてみる。

それでいいんです。なにがいけないのですか。人の役にたたなくても死にません。

親や兄弟なんて、自分でえらんだわけじゃない。

親を捨てる覚悟がないとしあわせにはなれない。寺山修司はいいことを言う。

今日はいい夜だった。

とても気分が晴れて、すがすがしい気もちだ。

私もそれなりにいろいろありましたが、私は私の人生を愛しています。

ほかの人に変われるとしたら、ほかの人の人生も知ってみたい気もちはあるけど、私の人生は誰にも渡しません。

生きるのが大好きです。

ライフイズビューティフルです。

今度映画館で観られるらしいです。ぜったい行こう。

佳香の未来 まだまだこれから☆

♪今日のもぐもぐソング 佳香/私の天国にはこないでね

2025.12.13